「我思う、ゆえに我あり」
などといわなければならないほど、
自分
の存在って、とてもふしぎで、つかみ所のないものです。
鏡に映してみても、
自分の姿は、ちゃんとはみえていません。
左右が逆なんですよね。
だから、目の前に座っている人が見ている(であろう)自分の顔って、
自分では見たことがないわけです。
王様のアイデア
ってご存じの方も多いと思いますが、
ミョーな便利(?)アイテムをたくさん売っているお店です。
そこに、
左右がそのとおりにうつる鏡
というのが売ってあり、それを見てきました。
ヒトが見ているはずの私のカオが、そこにうつっていたのですが、
非常にびっくりいたしました。
いつも鏡で見ている自分の顔と、印象が全然違うのです。
なんかこう、右にまがっているというか、ひきつってる。
それに、口元がこう、膨らんでるみたいに見える。
他の人は私の顔をこんなふうに見ているのでしょうか。
ちょっとショックでした。
そんなふうに、顔はもとより、
全体的な姿やクセ、内面、印象などもふくめて、
自分のコトってことほど左様に、よくわかってはいないものです。
だから、なんかこう、自信が無く、
ひとまえにでると、みょうにもじもじしちゃったりします。
フツウはそのはずです。

しかし。
獅子座は、おおかれすくなかれ、
そういうところが少ない星座といわれています。
もちろん、人見知りする獅子座が存在しないわけではありません。
でも、獅子座には、こと「おのれ」の認識の仕方について
一種独特の傾向がある星座だといわれています。
つまり、自分のことは、オッケーなのです。
オッケー。
「自分」は、基本的に、
問題ないのです。大丈夫なのです。
不可か可かといわれれば、可です。
イエスかノーかといえば、イエスです。
中心かはしっこかといえば、中心です。
光か影かといえば、光です。
生きているか死んでいるかと言われれば、生きているのです。
それが獅子座のしくみです。

「真っ赤な薔薇を愛好するのはよほどの自信家だ。
自分の容姿に自信がなければ、
あんな艶やかなモノの存在を肯定したりできない。
凡人はすこしみすぼらしい目立たないものを愛する。
なにかを愛することは、それを己の一部とすることだからだ。
自分相応なみずぼらしい雑草と世に棲む、
かわいらしくもあわれなわたしたち。」

とは某人の詩でありますが、
まさにバラを心から愛するのは、獅子座の特権なのです。
バラに限らず、獅子座は、
なにごとによらず天衣無縫に愛することができます。
うつくしいものやきれいなもののまえで、
己の姿や地位を恥じたり、いじけたりすることがないのです。
ハデだとか自己顕示欲が強いとかいわれる獅子座ですが、
獅子座がハデなものやきれいなものをこのむのは、
そのものによって自分をひきあげてもらおうとするからではないのです。
もともと自分が頂点にいるので、
その高みにいる自分が愛を与えるに足る対象をさがしだし、
ひるむ必要もなく身につけてしまっているだけなのです。

獅子座を表現するときに私がよく使う言葉は、
肯定
です。
獅子座を表現する象徴の中に
皇帝
があるので、これはよく符合するなあ等と悦に入ったりするわけですが、
とにかく、出発点が、いつも「肯定」なのです。
基本的に、あるがまま、それでいいのです。
だからこそ、意欲的に決定し、愛し、生き、子供を作ることができます。
獅子座を支配する星は、太陽です。
太陽系の中心にあってすべての惑星に光と軌道を与えています。
これは、ものすごいことです。
世界は、自分に認識されているがゆえに存在している、ということを
ごく自然にうけいれられるのです。
世界
というのは、実はそのひとだけのものです。
その人が死ねば、世界もなくなります。
そんなふうにシニカルに考えているわけではないのですが、
獅子座は、自分が中心になった世界が存在するのと同様、
他の人についても同じように、いくつもの宇宙がある
ということを理解するに、一番近いポジションにあるのだとおもいます。

冒頭にのべた
「12星座イコール人の一生になぞらえるぞメソッド」
で考えたとき、獅子座では何が起こるか。
まず牡羊座で新しい世界に放り出され、
牡牛座・双子座の段階では外界へいろいろな手段を用いて接触を試み、
蟹座で居場所を確定すると、
ここで忽然と
「自分」
が発見されるのです。
これは、とてもおもしろい、かつ重大な変化です。
そこまでは、目の前にはただひたすらに、外界の文物と他者があったのです。
意識は外側に向かっていました。
でも、居場所ができて、何となく自分のエリアってのが確認されると、
はたと、「あ!自分がいる!」ってことに気がつくわけです。
自分。他人とは違う、このおもしろいもの。
いままでは受け取るだけでしたが、
こんどは、与えることができるようになっています。
意識と、それにともなう意志があるからです。
獅子座を表す基本タームは、「I will」です。
意識的にあつかう意志。
私はこうしようとおもう。こうしたい。

獅子座が王様や皇帝になぞらえられるのは、
偉そうだからとかプライド高いからだとか、
そういうことではないのです。
自然に、まったく理論武装も何もなく
これでよいではないか
と思っていられるポジションが、
人間社会では比喩として他に思いつかないからだと思います。
まあ、注目されたいとか、
ヒトにつべこべ意見されたくないとか、
悪くするとヒトの言うこときかないとか、
どんなに酷い欠点を持っていても自分を変えようなんて思いつきもしないとか、
そういうときはあるので、
時々「あいつはオーサマだよ」といわれることもあるかも知れません。
でも、悪気があるのじゃないです。
むしろ、獅子座には悪気がないのです。まったくないのです。
他人をけ落とそうとかおとしめようとか、
そういう卑俗な下劣なことは、おもいつけないのです。
なぜなら、基本的に己を肯定しているからです。
自分がオッケーなら、
他人をどうこうしたり、他人につべこべ言ったりする必要なんかないのです。
卑怯なことをやらかしてしまうのは、
たいてい、
自分に自身のナイ人間です。
獅子座はそういうコトとは無縁です。
獅子座がもし、なにか犯罪的なことをしようとするとしたら、
そのとき獅子座の頭の中には、何かすごくロマンティックな、
もう、
自分は新宿鮫だ
くらいの映像美が繰り広げられていたりするんじゃないでしょうか。

獅子座は、演技に関係の深い星座だといわれています。
自分の考えとか感動とかをヒトに伝えることがスキですし、
誰かの心の中に感動を作り出すこともスキだからです。
ほめられるのが大スキ、見た目でも才能でもなんでも、
自分の輝きが人の心にとどいたと思えたとき、
バラ色の喜びを感じます。
だから、滅多に弱みを見せない、という面ももっています。
どんなに辛い状況にあっても、
他人に涙を見せたりしません。
それは、他の星座でたまにあるように、
弱みを見せて傷つけられるのがコワイから、とかが動機ではないのです。
自分自身に対して持っている肯定的自画像に合致しない表現形態は採用しない
という方針を持っているからです。
誰かの心の中に、
あるイメージの私
を描いておいて、それをこわしたくない
とおもっているからです。
獅子座は、そのせいで、またもや
プライドの高い韜晦癖のあるお高く止まったやつだ
と思われてしまうことがあります。
でも、それは誤解です。
獅子座の中にも、いえいえ、火の星座たる獅子座であればこそ、
豊かな動きと温度を持った、激しい感情が動いています。
傷つくときは激しく傷つきます。
怒るときも同様です。
人からけなされたり、見下されたりすると、
悲しみの波動が心に渦を巻きます。
でも、意志の力を強く持った獅子座は、
それを「意識」というコントロールされた力の濾過を経ずに、
外に出すことを禁じるのです。
自分自身の「肯定」の力にのまれた、ワガママで甘ったれな獅子座がいる一方で、
自己抑制の効いた、自分に厳しい獅子座がいるのは、こういうワケなのです。
ひとたび自信を失った獅子座は、
かなしいくらい反動的な行動をとることもあります。
ほめられたり注目を集めたりするために、
破壊的な方向にやみくもに走っていってしまうこともあります。

こんな自分ではいけない
と思う心は万病を引き起こし、ヒトの魅力を削いでいくことが多いです。
そういうネガティブな仕組みを持った人が多い世界で、
からっと明るく
それでいいのだ!
と言える力を持った獅子座は、本当にすばらしいギフトをあたえられた星座です。
自分を肯定できるヒトは、他者をも肯定できます。
お互いに、それでいいんだよね、ちがっていて、それであたりまえだよね、
って思えるのも、すばらしいところです。
獅子座は寛容である
というのは、己に寛容であり、他者にも寛容である、という意味です。
寛容であるばかりでなく、
その生命力を、何かを愛することに飽くことなく使おうとします。
ただ、そのことが高じて、
自分の中にあるものと他人の中にあるものを、
すりあわせたり変容させたりすることに気づかないこともあります。
差は差のまま、放り出して、
「合う・合わない」
だけでけりを付けて、結局何もできずに終わってしまうこともあるようです。
また、「意識の星座」であるだけに、
無意識というか、目に見えないもの、
自分の中にあるにもかかわらず自分が気づいていないことについて、
わりと鈍感だったりします。
他人についても、それは同じ様なことが言えるかも知れません。
見えないこと、意識されていないこと、
こういうところに、変容のきざしが仕込まれていることが多いわけですが、
これを見過ごしたり無視したりすることで、
ひととのつながりや変化のきっかけをうしなうことも、あるようです。
偉大なギフトに従って
自分
をまず肯定したところで、
その後どう変化し、どこへ向かって歩いていくか、に思いが至れば、
獅子座は文字どおり、
人生を楽しむことにおいて無敵の星座なのです。
さらにいえば、
獅子座がただしく人生を楽しんでいるとき、
周囲もまずもれなく喜びを感じることができる、という、
なんとも祝福された星座なのです。

獅子座の人の気を引きたければ、
たくさんほめてあげるといいとおもいます。
そして、そのひとにふさわしい、
高々として輝かしい自分を作り出してみるといいと思います。
獅子座の相手が男性なら自分も女王様のように
獅子座の相手が女性なら自分も王様のように
堂々と相手を見つめるのがよいと思います。
王様たる獅子座は、自分に付き従う家臣をほしがっているのではないのです。
自分を王様だと認めてくれるもうひとつの太陽を喜ぶのが、
獅子座の誇りであるのだとおもいます。

by 占い/石井ゆかり

by イラスト/酒井景都