水瓶座。
その名前から水の星座と思われることもしばしばですが、
なにしろ風の星座です。
でも、風なのに、かなり頑固です。
世の中の物事は、なににせよ、
先人の考えとかの上に成り立っていることが多いわけですが、
水瓶座にとっては、どうもそうではありません。
水瓶座は、自分自身によってのみ縛られる星座です。

ふしぎちゃん
という言葉は最近では一般的に使用されておりますが、
12星座の中で不思議ちゃん扱いされることが多いのは、
水瓶座と魚座のようです。
でも、その不思議さ加減は、
魚座と水瓶座は大分異なっている様に思えます。
水瓶座は、その人個人の中で練り上げられた論理なのです。
魚座は、なにかの電波でもキャッチしているとしか思えない
曰く言い難い不思議さです。
水瓶座の不思議加減は、そういうわけで、
説明してもらえれば、感情移入はできないまでも、
ああ、そういうことなのか
と、理解はできる論理に基づいています。

水瓶座の批判精神についてはよく言われることですが、
乙女座の分析精神とは、これもことなっています。
乙女座の分析は、何かを怖れる気持ちからきていたり、
状況を安定させるために行われたりすることがおおいのです。
でも、水瓶座の批判精神は、
おそらく何か実質的なことを成り立たせるためには
機能していないように思えます。
じゃあ、空理空論か、観念遊びか
といわれると、そういうところも、実はないんです。
水瓶座には水瓶座の「現実」という感覚があって、
それに寄与するような現状認識を行っているのです。
その内容が、他人を飲み込もうとかコントロールしようとか
そういった一般的な意図が無いので
現実離れ
などといわれることもあるのですが、
現実、が人によってどんなに違うかと云うことを、
ある程度潜在的に知っているのが、
水瓶座という星座のおもしろさのようです。

水瓶座の支配星は天王星ですが、
天王星の引き起こす事故って、突発的で、びっくりさせられます。
でも、人災であれ天災であれ、
タネのない手品はないのです。
そういう意味で、
不思議なことなど何もない
と思っているのが、水瓶座のすごいところです。

水瓶座は、
「社会で成功を得たあとに欲しくなる何か」である
と考えると、わかりやすいかもしれません。
お金も地位もでき、生活が安定したとき、
いったい何がほしくなるでしょうか。
自分がたとえば、社長だったり、役員だったり、
父親だったり、なにかの組織に属し、地域コミュニティや商工会に属し、
そうやっていくつかの人間の集まりの中で「居場所」を確立させたとき、
いったいなにが心の中にわいてくるでしょうか。

ここで、「個人」がもどってくるのではないかと私はおもうのです。
私はそもそも、いったいなにものなんだろう。
生まれ出た場所である世界に出会い、
同じようにそうして生まれてきた「他者」に出会い、
その他者が集まって作っている社会を発見し、
その社会で居場所を確保したところで、
あらためて、人は、自分自身に出会うのです。
「自分」とは、なんだろう、と。

水瓶座の基本は、「個人」だとおもいます。
獅子座の「自分」というのと、その仕組みはとてもよく似ています。
でも、獅子座と違っているのは、
水瓶座の段階では、他者や社会、外側の人々が、
じぶんの個人的あり方とつよく結びついている、ということです。
むすびつきつつも、依存しません。
世界を見、他者を見、社会を認識したあとで、
やっと人間は、個人として自立することができるのかもしれません。
自立は、孤立とはちょっと違います。
誰の世話にもなるもんか
というのは、見当違いな「自立」です。
本当の自立とは、
自分がどれだけ他者や社会とかかわり、相互依存しているか、
ということをよく理解し、その上で行動できるということなのかもしれません。
依存は、するのです。
みんな誰かに甘えたり、頼ったりして生きるしかないのです。
どんなに山にこもっても、ひとりぼっちになっても、
きっと、何かにはお世話になっているはずです。
水瓶座はそういう、生きとし生けることのネットワークを、
なんとか自分というノードから理解しきろうとする星座なのです。

ネットワーク
という言葉を使いましたが
水瓶座はインターネットに関係の深い星座だと言われます。
水瓶座にその支配星である天王星が在室したのは
1996年以降、2003年までくらいの期間です。
2003年は天王星が魚座に移動する境目の年でした。
この6年間くらいのなかで、
インターネットが劇的に地球上にはりめぐらされた、
といっても過言ではないでしょう。
情報発信能力は、かつて、
権力を持ったいくつかの個人や機関が集中的におこなっていたのに、
現在ではだれもが、自分の犬とか庭とかの写真を世界に公開できるし、
自分の考えを述べ、詩や絵を発表し、人を集めたり人脈を広げたりすることができます。
これは、激変と言えると思います。

水瓶座は、そういうとても公平で平等で自由なありかたを象徴するような星座です。
社会的に地位が高いからってエライ人間だとはかぎらない
とはよく言われることですが、
現実の生活の中で「ほんとうに心から」そう思っている人は、
わりと少ないようです。
テレビに出ていればなんとなく賢い人のように見える。
本を書いていればなんとなく人格者のように見える。
でも。
じつはそうでもなかったりします。
水瓶座は、「地位が高いからってエライとは限らない」と
本気で思っている星座です。
社会的な立場や地位、表面的なひけらかし、
耳学問やききかじりには極端に懐疑的です。
エライ人が話したことだって、
自分の体の中で生々しく納得できなければ、信用しません。
逆に、自分が考えたことには、強い確信を持っています。
でも、確信は持っているけど、間違っていたらそれを素早く修正できます。
知識や認識で人としての価値ができあがっているのではないことを知っているからです。
水瓶座はプライドが高いのですが、
そのありかたはたいへんピュアで、人に嫌な感じを与えません。
単に堂々としている、そしてプライドが高い割に素直である、
そういう印象をたたえた、さわやかな星座でもあります。

水瓶座がまちがった全体意識にとらわれると、
すごく気が弱くなるようです。
みんなの思うように思わねばならない、とおもってしまうと、
とたんに自分の考えに全く自信がもてなくなります。
でも、「自分の考え」自体はいやおうなくふつふつとわいてきてしまうので、
人目を気にして押さえつける心と
とんがって確信に満ちた自分の考えとが
体の中でしょっちゅうケンカして、
あげく、自分自身を傷つけてしまうことにもなりかねないのです。
人の思いと自分の思いはいつも等量に世界を満たしていて、
その違いこそが世界のダイナミズムを生んでいることを、
いつも知っていられれば、その美質がきらきらと生きてくると思います。
貴方の自由は正しさからくるのではなく、
人はすべて違っているからイイ、ということからくると、
いつも知っていていただきたいのです。

水瓶座は、その相対する相手から、
無意識にいろんな肩書きや仮面をとりはらってしまいます。
水瓶座と接するときは、
みんなうまれたままの「自分」で勝負しなければいけなくなってしまいます。
これは、結構怖いことです。
それに、水瓶座はすぐに、はっきりとした印象を抱く人たちです。
だから、水瓶座の前に立つと、
いつもはあまり使わない「自分の本音」で対応させられたあげく、
「あなたはこんなひとね」と思われた感じがして、
すごく傷ついた気分になったりするかもしれません。
でも、それは、一部誤解です。
水瓶座はなぜか、罪を憎んで人を憎まないような、不思議な公平さを持っているのです。
だから、水瓶座の前に立たされたひとがどんな「自分」を見せようが、
水瓶座はそれに対して明確な感想を持ちますけれど、
それを「信仰」したりはしません。
つまり、
「アイツこういうやつだから全然ダメ」
とは考えないのです。
「あの人はこう言うところのあるヒトですね」
っておもい、そのことに好悪の情は抱くのですが、
もしまた違う機会に違う側面を発見したら、その印象はすぐにくるんと変化します。
ある考えを確信を持って抱くのですが、
それにそぐわない事態に遭遇すると、完全に公平にその考えを変える。
この潔さは、ほかの星座にはちょっとまねできない、すばらしい才能です。
そして、この潔さがあるからこそ、
水瓶座はほかのどの星座よりも
ユニーク
であるといわれるのかもしれません。
自分の考えを形作ることにこれほど自由でなければ、
個性なんてそうそう、外に見えてくるモノではないとおもうのです。

by 占い/石井ゆかり

by イラスト/酒井景都