魚座は、不思議な星座です。
たとえば、おとぎ話に出てくる、不思議な隠者がいます。
俗世間の問題を解決したいとおもっている英雄は、
なぜか俗世を離れている隠者の元で、
不思議な、不可解な言葉をさずかります。
その足で俗世にかえり、実際の問題に立ち向かったとき、
ふと、あの不可解な言葉の意味を知るわけです。
物事の表層からは思いも及ばない、
なにか根底に流れるしくみのようなものをくみとって、
それを結晶のようにまもるちから。
魚座のなかには、そんなエネルギーを感じます。
でも、まもる、といっても、
魚座は非常に自由なのです。
自由さ、という点では、
双子座や射手座のそれと似ています。
自由なのです。
時に、己からすらも自由なのです。
だから、周囲に揺らされやすいのも事実。
こだわりもてらいもないがために、
悪い空気を素直に身体いっぱい吸い込んで、
にっこり微笑んでいることすら、あるのです。

私のイメージの中では、
魚座は霧の中にある水晶玉のような感じです。
こちらからはよく見えないのです。
でも、あっちでは、こちらが見たこともないようなモノを見ているのです。
そのものは、別にいつもいつももの凄く神秘的とか、
全て完全に正しい、というワケではありません。
でも、その切り口は、
明らかに他人には理解できない、
四次元的なところにあるので、
他の星座の人間には見えないけれどもちゃんと存在する
「真実」
をついていることが多いのです。

魚座、といわれたときに感じること、もう一つあります。
それは、コントロール、ということです。
それが得意、ということではなくて、
必要としていないし、できもしない、ということなんです。
理性でコントロールすること、
意識的に考えて、自分自身や状況を
偶然でなく必然の元にコントロールすること。
それはすごく偉大なことです。
でも、ひとたび魚座視点でそのことを考えてみると、
なにそれ
という気が、ちょっとだけするのです。
この広い、複雑な世界を、
ただ一人の「自分」という人間の頭の中でコントロールしようなんて、
そんなバカなことできるかな、と。
コントロールしようとする心は、
自分のアタマの中に世界を引き込んで取り扱おうとする心です。
あるいは、自分のアタマの中のとおりに世界を作り替えようとする心です。
魚座は、そのちっちゃさ無益さを
魂の根幹から理解している星座、だと思います。
魚座は、世界と自分との位置関係を、
分断されたモノとしてとらえてはいないと思うのです。
身体全体が、世界に向かって開かれきってしまっていて、
その結果、
すばらしいナチュラルさで世界と交流している人と、
人のひずみに塗りたくられて生きている人と、
に、分かれるのかもしれません。
でも、魚座は多分、
もっとも自由に幸福になる方法を知っているのです。
幸福は自分の心の中にある
とだれかが言っていましたが、
本心からそのことを理解できるのは、魚座だけなのかもしれません。

魚座は、音楽や芸術に関係の深い星座だと言われています。
あとは、海、オイル、ガス、煙、香り、お酒、
私が思うに、これらはみんな、
「境界線を越える」
ことに関係しています。
日常生活の中で、人と人とのあいだは、完全に隔たっています。
どんなにコミュニケーションしても、
どんなに話し合いをしても、
私の生理痛を彼にそのままのかたちで「おもいしらせる」ことはできません。
想像はできるかもしれません。
けれども、私の体験をそのまま誰か他の人に体験させ、同じ思いを感じさせることは、
まず不可能です。
人と人とはこの点、親子だろうが恋人だろうが、
徹底的に断絶している個体同士なのです。

しかし。
コレを越えようとする動機を、
なぜか生き物は、つねに体の中に持っているようなのです。
その「個体としての断絶を越える」ことに関心が向いているのが、
魚座の仕組みなんじゃないかと思うのです。
言葉は社会的なメディアです。
魚座は、言葉を越えた意志の疎通を模索しているようです。
それが、音楽だったり、薬だったりするわけです。
このこころにうまれた何かの動きを、
そっくりそのまま誰かの心の中に移植する方法はないものか。
魚座はそのことが可能だと思っている星座なのです。

魚座にとって、
他人や世界との境界線は、いつもあいまいです。
他人の気持ちをそのままくみ取ろうとしますし、
自分の気持ちをそのままわかってもらえるはずだと思っています。
なので、
それがかなわないことが多い現実世界では、
誤解されているとか裏切られたとか感じ、
めそめそしてしまうことも少なくありません。
過剰な潔癖性の人もいます。
周囲と自分を合理的に切り離して整理した上で関係性を正常化する
ということができにくいため、
本来どうしても接していかなければならない嫌なモノや汚いモノを
徹底排除する
というアプローチをとりやすいのです。
周囲から見ると、
変わっているとか不思議ちゃんだとかおもわれます。
それはそうです。
ほかの11星座が必死に取り組んでいる
「自分と他者」
という問題が、
魚座のなかではすこぶるあいまいなのです。
自分と他者のへだたりをどうとりあつかうか、が
ほかの星座の興味の根元にありますが、
魚座はそこを越えてしまっています。
魚座は、自分と他者が隔たっているということが、
そもそもナンセンスだと思っているのです。
自分は他者であり、他者は自分です。
世界という海の中にぼよーんと溶け出したなにごとかであって、
まざりあうことも、つたえあうことも、
自在にイメージできるのです。

魚座の知的活動は、周囲から見るとしばしば驚異的です。
一見なにも考えていないように見えるのに、
ときどき思わぬするどいひとことを発します。
どうしてそれがわかったのか、だれにも理解できません。
多分、本人にも理解できないでしょう。
ときどき、ものすごくおしゃべりな魚座の人もいます。
境界線のあいまいな魚座は、
他者の頭の中と自分の頭の中の徹底した違いに気付いていないことがあるからです。
論理や筋道、ハナシの構成というのは、
自分と違った頭を持っている人に自分の考えを話すときは、
ある「わかりやすい」形に加工しないといけない
という前提にもとづいてつくられます。
でも、魚座はそんな気遣いないのです。
多分おなじにんげんだから、自分が思うようなことは相手にも自然にわかるのです。
だから、論理とかスジミチとかは不要なのです。
おもったままにべらべらしゃべればいいのです。
こういう魚座のハナシを聞いている方は、
たまに退屈したり辟易したりしますが、
ときどきおもいもかけない鋭いことを言い始めるので、
びっくりさせられたりもするのです。

魚座がその人格を意欲的に高めるとき、
その上昇には際限がありません。
どんなことでも、
ほかの星座が持っているどんな「しくみ」でも、
多分すぐに理解することができるのです。
それは、魚座の特権です。
でも、理解してあげたときでも、
魚座は相手の望むような自分のフリをすることは、難しいかもしれません。
魚座は、ウソは言えても、
自分や他人を本質的にだましてしまうことができない星座のような気がします。
だから、ほかの星座から見ると、
魚座は信用できない人におもえたりします。
人の心がかわるということを、
みんな知っているけれど、
そのことに究極に忠実にふるまってしまう魚座のひとは、
イイカゲンな、浮気なひとに見えるのです。
ほかの星座の人たちだって、
みんなころころ心を変えています。
でも、みんな、自分をだましたりコントロールしたりして、
そうではないようにふるまっています。
魚座は、それができません。
「時間軸上で固定的なありかたをよそおう」
ことができない。
自分のきもちの変化のままに、ムリもウソもなく行動しようとします。
悪意とか善意とかの範疇ではないのです。
ですから、魚座は瞬間的には、最高の善人に見えます。
でも、時間を追ってみていくと、
とんでもない偽善者だと思われてしまうこともあります。
そんな誤解のなかで、
魚座は涙を流すことを余儀なくされることがあるでしょう。
境界を越える人間はいつも、
境界の中で安住している人から見て、理解不能なのです。
融通無碍の域に達した聖人と、単なるいい加減な人の区別は
ときに、つきにくかったりします。
でも、本来、この2人は同じ世界に住む人間たちなのです。

そのポジションだからこそ見える
すばらしい景色が、確かにそこにあります。
自分に正直であることはいつだって、
最終的には本当の幸福に結びつきます。
魚座は本質的な意味で、ウソのつけない星座です。
更に言えば
魚座は「ダブルボディーズ・サイン」です。
自分以外の誰かと、最終的には、
完成された愛の「対」になれる可能性を持った星座なのです。

by 占い/石井ゆかり

by イラスト/酒井景都